土・日曜 は会社もお休みだったので、土曜は「ぶらっと」一人で 「歴史散策」
後から思えば、
「徳川ウィーク」? だった ・・・
土曜日は、
水戸城跡 へと ・・・
築城は、馬場資幹により建久年間(1190年 - 1198年)に築かれたとされ、 その後、室町時代には、江戸氏が新城主となり、その支配は以後7代(約170年間)続いたが、1590年(天正18年) 豊臣秀吉の小田原攻めの際に江戸重通は北条氏側に加担したため、佐竹義重(常陸一国54万石)の支配となった。
1609年(慶長14年) 徳川家康の十一男、徳川頼房が下妻城より25万石で入城して以降、幕末まで水戸徳川家の支配となる。


水戸城跡・大手橋

当時の写真(明治初期)

初代藩主・徳川頼房公

本丸あたりをぶらっとしてみるが、跡地には学校などが立ち並んでいた。
次に、
藩校・弘道館 へ ・・・
創立は、1841年(天保12年)8月。第9代水戸藩主の徳川斉昭によって水戸城三の丸内に作られた。当時、三の丸内には藩の重臣たちの屋敷があったらしいが、それらを移転させ、その広大な敷地に弘道館を建設したという。 15台将軍・徳川慶喜公(徳川斉昭・七男)も、御三卿・一橋家に養子に出る10歳ぐらいまで ここで勉強していたという。



なんと!今日は「茨城県民の日」ということで、入場料は無料だった

(福島県民の俺には関係ないが ・・・)



早速、中へ ・・・


至善堂(しぜんどう)

この部屋は、15代将軍・徳川慶喜公が「大政奉還」後、朝廷に恭順の意を示し謹慎をしていた部屋です
私もこの部屋で、その当時の慶喜公に思いをはせながら、暫し座り込んでいたのでした。

(身分はまったく違いますが ・・・

)
慶喜公使用の長持

所変わって ・・・
便所とお風呂
最後に 弘道館案内所にて 「日本百名城」のスタンプを戴き

まだまだ散策しきれないが、本日ここまでということで
水戸を後にしたのでした ・・・
水戸・徳川編お・し・ま・い ・・・
posted by cyagara at 09:37
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日記